
まぁ、レビュー能力の低さは元よりなので、再びよろしくお付き合い下さい。
さて本日は、海野螢先生の『大人の手がまだ触れない』(オークス)のへたレビューです。夏の風を感じさせる爽やかな表紙ですなぁ。
テーマやSF的なアイディアを丁寧に盛り込んだ厚みのあるプロットと独特の魅力のある叙情的な絵柄とが楽しめる傑作短編集です。
収録作は全て短編で6作。本数こそ少なめですが、1作当りのページ数は20~38P(平均33P)と結構なボリュームがあります。
いずれ劣らぬ良作揃いであり、ニ読三読を誘う構成の妙があるためじっくりと楽しめる作品集だと言えるでしょう。

日本と西洋の人魚伝説をモチーフとしながら孤独な少女とその儚げな美しさに魅了された少年の一夏の逢瀬を話の軸とする短編「人魚の入り江」以外は、男女のラブアフェアよりはSF的なプロットやモチーフにした題材を如何に魅力的に描くことにシナリオの重点が置かれているような印象があります。
ただ、すばる食という天体現象と昴星にまつわる伝承、そしてタイムスリップを見事に重ね合わせた短編「地上のすばる」、性の分化と生殖の意味合いを恋愛要素に重きを置きつつも生物多様性や自己意識の面からも伺う短編「無原罪の御宿り」、二層から三層へのメタフィクションの構成の変化で読み手を惹き付ける短編「ウツツのハザマ」など、高い作劇力によってSF的なテーマや理屈をしっかりと消化していますが、緻密な設定や巧妙なギミックを期待するのは避けた方が無難。
どちらかと言えば、サイエンス・フィクションとして科学的な論理構成を基盤に描くのではなく、サイエンス・ファンタジーとして世界に揺蕩う不思議を柔らかく描き出す印象があります。
短編「箱の中の猫」で描かれた様にソリッドに見える現実(の認識)は意外に不確かなわけで、その不確実性の狭間にこそ人間は数多のファンタジーを見出してきたように僕は思うのですが、ともすれば不安と狂気に包まれるその幻想を各短編においてテクニカルにかつ優しく紙面に宿しているように感じます。
自然と産まれくるファンタジーに陰も陽も無いわけで、短編「ロボットのゆりかご」のラストの様にそこに暗さを覚えるならば、それは人間の持つ暗さの映し鏡に過ぎないのではないでしょうか。

まるでスライド映写機のように(おっさんホイホイ?)コマ間の連続性を保ちながら一コマ一コマの断続性が強調されるページ構成は、その途切れを象徴する白地にこそ読者の想像の翼を羽ばたかせる力を持っています。だからこそ保持された穏やかな現実感から広がるファンタジーとしての魅力がさらに増しているような気がするのです。
下手をすれば単調・淡白な見栄えになってしまうのを、海野先生がお得意とする郷愁を誘う丁寧な背景や登場人物の表情変化の繊細な表現、コマ配置を凝った視線誘導などにより情報量を増すことで回避しています。

繊細なペンタッチ、多用されるものの派手さはないトーンワークなど、くっきりはっきりそして明るくな当世流行りの萌え絵柄とは大分離れた絵柄ですが、時に朗らかに時に妖しく微笑む少女達が持つ健康的な色香は大変魅力的です。
生活感のある街並み、寂莫感漂う廃墟、生命力に満ちた入道雲の夏空、生命と不思議を育む母なる海などなど味のある背景もいつも通り。
余裕のあるページ数もあってエロシーンの量は十分であり、エロ表現として十分扇情的ではあります。とは言え、エロを魅せるためにシナリオがあるのではなく、ストーリーテリングの一環としてエロがあるタイプなので即効性のある抜き物件をお探しの方には強くお勧めは出来ません、いや僕は使いましたけど(爆。
上述のユニークなコマ展開のため、局所描写を含めて一コマごとの表現力は高く読み手の煩悩を存分に掻き立てますが、コマ間の流れの途絶えが肉弾戦の激しさを削いでいる印象はあります。やや複雑な視線誘導もコマごとの魅力を高めるものの、抜きへの没入度はやや低下するかなとも思います。

意図的に少女の台詞をエロ漫画オーソドックスにしている短編「ウツツのハザマ」を除けば、エロシーンにおける嬌声や液汁表現などによる華々しい演出はかなり控えめです。
短編「ロボットのゆりかご」を除いて全員乙女であり、破瓜描写はしっかりとあります。軽く流さず敢えてある程度痛々しく表現されていますのでご嗜好に合わせて判断下さい。
変な総括になりますが、海野先生のこれまでの単行本で抜けた方は今作でもご飯を美味しく頂けると思いますよ。
決してドラマチックを全面に押し出した作風ではないものの、丁寧に話を起こし出して情感をたっぷりと味あわせ、印象的なラストできっちり締める作劇の素晴らしさは健在。
少年少女期に持ち合わせたピュアな好奇心と力強い想像力を思い出しながら楽しんで頂きたい作品です。
もう、管理人は帰ってきてイの一番に読んでたっぷり満足させて貰いました。エロ漫画がゆっくり読めるって幸せ。