すいません、レビューじゃなくて本格的に胡乱なことを書きます(汗
常々漠然と考え続けてきたことなんですが、先日えろまんがとぴっくすさんが記事を執筆されていて刺激を受けたんですよ。
いきなり話が飛躍しますが、僕はヘビィメタルが大好きで、デスメタルとかスラッシュメタルといったジャンルを特に愛好しています。
このジャンルって、暴力とか反宗教とか戦争とかがテーマであることが多く、歌詞は反社会的で攻撃的なことがやはり多いです。
音も荒々しくて、慣れない人には雑音にも聞こえるような(よく下手なんだと間違える人がいますがメタルミュージシャンの演奏力は相当高いです)暴力性・攻撃性があります。
でも、聴いているとコレが物凄くカッコよく聞こえて、血湧き肉踊って、気持ちが力強さと爽快さで一杯になり、「楽しめる」んですよ。
サム・ダンという映画監督が「何故、ヘビィメタルは偏見を押し付けられ、嫌われるのだろう?」という疑問に自身で答えを見つけるために撮った『ヘッドバンガーズジャーニー』という傑作ドキュメンタリー映画があります。
彼が劇中で出した答えを要約すると、「ヘビィメタルは確かに反社会的で攻撃的だ。しかし、人はそういった暗いもの、社会的には『悪』とされるものすら『楽しむ』ことが出来てしまう。その事実を人に突きつけるからこそ、ヘビィメタルは嫌われるのだ。」となります。
さて、本論に戻りますが、この見解のヘビィメタルを陵辱系エロ漫画と置き換えてみればいかがでしょう?僕個人は凄いすっきりすると思うんですよ。
時に弱者を残酷に嬲り、時に強く気高く存在を貶め絶望させるどす黒い嗜虐欲や支配欲にしろ、逆に自分が圧倒的な力に翻弄され変えられてしまうことを望む自己破壊的な衝動にしろ(僕は嗜虐欲と被虐欲は表裏一体と思ってますが、まぁそれは今はいいです)、反社会的であったり攻撃的であることは確かです。
これらの欲望が行き過ぎて、実社会に影響してしまえば当然社会的なリスクがある訳で、もちろん表に出してはいけないのですが、エロ漫画という想像上の世界ではかなり小さいリスクで他人様に迷惑をかけずに楽しみ、欲求を解消することができます。
勿論、鬼畜とか陵辱というものは皆が皆楽しめるものではありません。ただ、個人差が非常に大きいにせよ、そういった暗い欲望は誰にでもあるのだと思うのです。
「ロリや陵辱エロなど反社会的な『貧しい』漫画は廃止すべき!」とおっしゃる人達が、正義や道徳という錦の御旗を持って絶対安全な位置から弱者である性的マイノリティーを迫害する行為の背景に、彼ら彼女らの薄暗い嗜虐欲が無いと誰が断言できるでしょうか?
名著『エロマンガ・スタディーズ』で永山薫氏が書いておられましたが、「そんな暗い欲望は一部の性的倒錯者のものでしかない」という現実逃避的な考えこそがむしろ貧しいのではないかと思うのです。
またメタルに話が戻りますが、暴力推奨や戦争賛美みたいな歌詞を持つスラッシュメタルやデスメタルですが、実際バンドメンバーがそういった行為を是としているかというと全く違います。(まぁ、悪魔崇拝系のブラックメタルはガチなケースが多いですが…)
多くのバンドは戦争や暴力に反対すると同時に、宗教(特にキリスト教)による倫理観の画一化に強く反対しています。メタルミュージシャンには死刑廃止論者や菜食主義者、敬虔なキリスト教徒も少なくありません。
滅茶苦茶矮小化して言うと、「人ってこんなに残酷で攻撃的だよ!戦争とか宗教とかこんなに人を殺したり苦しめたりするよ!凄い酷いだろ!それを体感しろよ!そんで自分でよく考えろよ!」ということです。
先ほどと同じく、戦争とか宗教とかの部分を嫉妬とか性欲とか憎悪とかに置き換えれば、エロ漫画でもぴったりくると思うんですよ。
陵辱エロもそれと同じで、表現される惨状をそのまんま呑み込むだけでは楽しみが少ないと思うのですよ。
鬼畜とか陵辱って言ってみれば、世間的に『善』とされるもの(純潔、法律、愛情などなど)に挑戦するというか破壊しようとする行為です。
もちろんそういった『善』なるものが逆転して『悪』を征するという筋も多いですが、多くの陵辱作品では「善きもの」「美しいもの」は「悪」に敗れます。
オイスター先生や氏賀Y太先生の作品では家族愛や友情といった人間の尊厳が描かれますが、それらは圧倒的な暴力と狂気に踏みにじられ何の救済にもつながりません。
では、登場人物達を救わない家族愛や友情に価値はないのでしょうか?「悪」に敗れる「善」は無価値なのでしょうか?それは断じて違うと思います。
例え何の実質的な救いにならなくともそれを大切に抱き続けるからこそ、作品中で描かれる家族愛や友情は崇高なものだと考えます。
「悪徳の榮」と「美徳の不幸」が描かれても、それは悪徳が美徳に変ることを意味しないのです。
悪徳を悪徳として楽しむと同時に、いくら汚されても決して光を失わない美徳の価値に気付かせてくれるのが陵辱エロではないかと考えています。
何とも取り留めの無い文章になってしまいました。
陵辱作品=悪いものという先入観を無くして、「二次元世界では悪を悪として楽しんでいいじゃないか!楽しむこと自体が悪じゃないんだ!」と思っていただければ、節操無しなエロ漫画愛好家としてこれ幸いです。
…にしてもこの文章長いよ。しかも文章下手すぎるよ(泣。精進あるのみかぁ。
常々漠然と考え続けてきたことなんですが、先日えろまんがとぴっくすさんが記事を執筆されていて刺激を受けたんですよ。
いきなり話が飛躍しますが、僕はヘビィメタルが大好きで、デスメタルとかスラッシュメタルといったジャンルを特に愛好しています。
このジャンルって、暴力とか反宗教とか戦争とかがテーマであることが多く、歌詞は反社会的で攻撃的なことがやはり多いです。
音も荒々しくて、慣れない人には雑音にも聞こえるような(よく下手なんだと間違える人がいますがメタルミュージシャンの演奏力は相当高いです)暴力性・攻撃性があります。
でも、聴いているとコレが物凄くカッコよく聞こえて、血湧き肉踊って、気持ちが力強さと爽快さで一杯になり、「楽しめる」んですよ。
サム・ダンという映画監督が「何故、ヘビィメタルは偏見を押し付けられ、嫌われるのだろう?」という疑問に自身で答えを見つけるために撮った『ヘッドバンガーズジャーニー』という傑作ドキュメンタリー映画があります。
彼が劇中で出した答えを要約すると、「ヘビィメタルは確かに反社会的で攻撃的だ。しかし、人はそういった暗いもの、社会的には『悪』とされるものすら『楽しむ』ことが出来てしまう。その事実を人に突きつけるからこそ、ヘビィメタルは嫌われるのだ。」となります。
さて、本論に戻りますが、この見解のヘビィメタルを陵辱系エロ漫画と置き換えてみればいかがでしょう?僕個人は凄いすっきりすると思うんですよ。
時に弱者を残酷に嬲り、時に強く気高く存在を貶め絶望させるどす黒い嗜虐欲や支配欲にしろ、逆に自分が圧倒的な力に翻弄され変えられてしまうことを望む自己破壊的な衝動にしろ(僕は嗜虐欲と被虐欲は表裏一体と思ってますが、まぁそれは今はいいです)、反社会的であったり攻撃的であることは確かです。
これらの欲望が行き過ぎて、実社会に影響してしまえば当然社会的なリスクがある訳で、もちろん表に出してはいけないのですが、エロ漫画という想像上の世界ではかなり小さいリスクで他人様に迷惑をかけずに楽しみ、欲求を解消することができます。
勿論、鬼畜とか陵辱というものは皆が皆楽しめるものではありません。ただ、個人差が非常に大きいにせよ、そういった暗い欲望は誰にでもあるのだと思うのです。
「ロリや陵辱エロなど反社会的な『貧しい』漫画は廃止すべき!」とおっしゃる人達が、正義や道徳という錦の御旗を持って絶対安全な位置から弱者である性的マイノリティーを迫害する行為の背景に、彼ら彼女らの薄暗い嗜虐欲が無いと誰が断言できるでしょうか?
名著『エロマンガ・スタディーズ』で永山薫氏が書いておられましたが、「そんな暗い欲望は一部の性的倒錯者のものでしかない」という現実逃避的な考えこそがむしろ貧しいのではないかと思うのです。
またメタルに話が戻りますが、暴力推奨や戦争賛美みたいな歌詞を持つスラッシュメタルやデスメタルですが、実際バンドメンバーがそういった行為を是としているかというと全く違います。(まぁ、悪魔崇拝系のブラックメタルはガチなケースが多いですが…)
多くのバンドは戦争や暴力に反対すると同時に、宗教(特にキリスト教)による倫理観の画一化に強く反対しています。メタルミュージシャンには死刑廃止論者や菜食主義者、敬虔なキリスト教徒も少なくありません。
滅茶苦茶矮小化して言うと、「人ってこんなに残酷で攻撃的だよ!戦争とか宗教とかこんなに人を殺したり苦しめたりするよ!凄い酷いだろ!それを体感しろよ!そんで自分でよく考えろよ!」ということです。
先ほどと同じく、戦争とか宗教とかの部分を嫉妬とか性欲とか憎悪とかに置き換えれば、エロ漫画でもぴったりくると思うんですよ。
陵辱エロもそれと同じで、表現される惨状をそのまんま呑み込むだけでは楽しみが少ないと思うのですよ。
鬼畜とか陵辱って言ってみれば、世間的に『善』とされるもの(純潔、法律、愛情などなど)に挑戦するというか破壊しようとする行為です。
もちろんそういった『善』なるものが逆転して『悪』を征するという筋も多いですが、多くの陵辱作品では「善きもの」「美しいもの」は「悪」に敗れます。
オイスター先生や氏賀Y太先生の作品では家族愛や友情といった人間の尊厳が描かれますが、それらは圧倒的な暴力と狂気に踏みにじられ何の救済にもつながりません。
では、登場人物達を救わない家族愛や友情に価値はないのでしょうか?「悪」に敗れる「善」は無価値なのでしょうか?それは断じて違うと思います。
例え何の実質的な救いにならなくともそれを大切に抱き続けるからこそ、作品中で描かれる家族愛や友情は崇高なものだと考えます。
「悪徳の榮」と「美徳の不幸」が描かれても、それは悪徳が美徳に変ることを意味しないのです。
悪徳を悪徳として楽しむと同時に、いくら汚されても決して光を失わない美徳の価値に気付かせてくれるのが陵辱エロではないかと考えています。
何とも取り留めの無い文章になってしまいました。
陵辱作品=悪いものという先入観を無くして、「二次元世界では悪を悪として楽しんでいいじゃないか!楽しむこと自体が悪じゃないんだ!」と思っていただければ、節操無しなエロ漫画愛好家としてこれ幸いです。
…にしてもこの文章長いよ。しかも文章下手すぎるよ(泣。精進あるのみかぁ。