GatheringOfLivestocks.jpg 荒木飛呂彦先生の『ジョジョリオン』第10巻(集英社)を読みました。人間にとって必須の呼吸をターゲットとして追跡してくるスタンド“ドゥービー・ワゥ!”の攻撃は正しく息の詰まる恐怖感がありましたねぇ。
大年寺山を倒したのは良かったのですが、謎のフルーツの存在への手掛かりはどうなってしまうのかが気になるところ。

  さて本日は、オイスター先生の『家畜乃団欒』(メディアックス)のへたレビューです。なお、先生の前単行本『雌豚闇肉塊』(一水社)のへたレビュー作家評等もよろしければ併せてご参照下さい。
悪意の暴虐が唸りを上げる陰惨たる凌辱の嵐の中、一人の少女と彼女の愛する家庭が崩壊していく様を描く重苦しい長編作となっています。

GatheringOfLivestocks1.jpg  収録作は、彼女を凌辱していたヤクザの男を殴った兄が暴行罪で逮捕されるも、それはヒロインの一家を食い物にしようと企む“歩く暴力装置”・高須の策略であり、家族の弱みを握られたヒロインは彼らに“謝罪”という名の凌辱を繰り返し振るわれることになるのだが~という長編「屠場の団欒」全10話(←参照 「お前さえ我慢すれば“幸せな家庭”は守られる」という甘言 同長編第2話より)。
なお、悪漢達を圧倒的なカリスマと暴力でまとめあげ、他者を絶望に突き落とすことを楽しむ極悪人・高須様は、『人デ無シ乃宴』(一水社)に収録された長編「その瘢から滴るもの」からの再登場(当時は高校生)。また、変態野郎・俊明も長編「ワタシキレイ?」から再登場しており、この作家さんの荒涼たる作品世界が更に広がりを見せています。
  1話当りのページ数は20Pと書店売り誌初出としては中の下クラスのボリュームで固定。もっとも、話の内容・テーマ性は非常に重苦しいものであり、凌辱劇としての読み応えは非常に強いと同時に、凌辱エロの過激性の強さもページ数以上のインパクトを与えるものとなっています。

【絶対悪が虐げる普遍的な美徳の儚さ】
  大切な存在である兄、優しい両親という愛する家庭を守るため、自らの肉体を悪漢達に捧げて状況を打破しようとするヒロインの必死の努力を描くことで、悲愴感の漂う息苦しい凌辱エロを展開していきますが、暴力と奸智を呼吸するが如く繰り返し、他者の心を破壊することに長けた極悪人・高須の前ではそういった努力や救済の希望は易々と粉砕されていきます。
兄を取り戻し、家族を安心させたいと願うヒロインの純粋な心、共に陥れられた父親の弱みや兄の逮捕、精神が擦り切れてしまった母親といったそれぞれの立場・感情を巧みに利用し、かつ蹂躙していくことで高須は彼らを支配し、ヒロインが守りたかった温かく優しい家庭を、欲望と憎しみに満ちた歪な人間関係へと変容させていきます。
  “美徳の悪徳への敗北”こそがオイスター作品を貫く確たるテーマ性であり、本作では家族愛という美徳の敗北が描かれているのですが、時に最期まで汚されることのないものとして美徳を描くこともある上で、美徳の弱さ・脆さを描くこともあるのがオイスター先生の作家性でもあり、本作は明確に後者のスタイルを示しています。
  自らの失策もあり、幸福な家庭を取り戻すことが出来ず、自信の心身を狂気の快楽に蝕まれたヒロインは、「私は被害者だから悪くない。悪いのは他の全ての人間だ。」という幻想に縋りつき、変容してしまった兄や両親に絶望すると共に恨み、家庭崩壊のキッカケとなった兄貴の彼女に嫉妬と怨嗟をぶつけます。
GatheringOfLivestocks2.jpgヒロイン自らがその思考の歪みを認識し、また絶対悪の強者である高須が蔑み、嘲笑するように、それはヒロインの弱さ・愚かしさであることは確かなのですが(←参照 “狂って”いないからこそ絶望する、そのことが見抜ける高須の恐ろしさ 長編第9話より)、例え地獄の中でも、例え幻想に縋っても、“私は私として生きていたい”という切なる願いはオイスター作品を貫く鮮烈なテーマ性だと言ってもよいでしょう。
  高須の様な超越的な存在でなければヒロインの“弱さ”を決して他人事にすることはできないという不安感、本当はもっと責められるべき悪があるにも関わらず人の弱さの責とされる不条理感、それでも美徳の幻想を信じて生きたいと願うことへの哀切の情、それら全てが無慈悲で禍々しい凌辱劇の終焉の後も、読み手に重く痛い読後感を残していると評し得るでしょう。

【素朴な可愛らしさを損壊させられる黒髪短髪巨乳美少女】
  女子高生級の美少女であるヒロインをストーリー展開の中心としつつ、同じく高須一派のシノギとして食い物にされる兄の彼女(ヒロインの友人)やその母親、ヒロインの母親なども凌辱の惨劇に巻き込まれています。
とは言え、エロシーンの回数も含めてメインとなるのはやはりヒロインの少女と言え、幸せな家族を取り戻そうと必死の努力を示す姿や、その希望が無残に破壊された後の壊れ方、延々と罪悪感に苛まされながら、偽りの狂気と“可哀そうな私”という自己認識と性交の快楽にその精神を浸し続ける姿は作品の地獄絵図そのものを象徴していると言えるでしょう。
また、壊れていくヒロイン以上に、精神と肉体を暴行と投薬、洗脳によって改変されていく家族たちの姿はより悲惨であり、彼らも凄惨な結末を迎えます。自身も蹂躙されながら、守ることを望んだ存在が自分以上に惨い変容を強制されるという状況がヒロインの精神の平衡を磨滅させていくと言ってもよいでしょう。
  また、オイスター作品屈指の名キャラクターであり、悪徳の権化たる高須の存在感は強力であり、高須の弟も凌辱要員として暴威をふるっていますが、人の弱さに巧みに付け込み、それを喰い物にした上で、人間の心が抉り、壊していくことに喜びを感じる高須の言動は読み手に畏怖の感情を与えるものとなっています。
GatheringOfLivestocks3.jpg  オイスター先生の十八番である、黒髪シュート&巨乳ボディなメインヒロインを筆頭に、若々しく清楚な色気のある人妻(母親)キャラクターであるママさんのスレンダー巨乳ボディが登場していますが、それらの肢体に悪意のある悪戯書きや、性器などの拡張、ピアッシング、根性焼きや殴打による傷痕など、それらの女体の美しさを損壊する行為を多数施すのもこの作家さんらしい特徴(←参照 下品な形のピアスを施されたママさん 長編第6話より)。
  ベテラン作家らしく単行本を通して安定している絵柄は比較的シンプルなものであり、悪く言えばややオールドスクールではあるのですが、美少女ヒロインの素朴で健康的な可愛らしさや、成人女性の清楚な美しさが忌憚なく伝わるタイプの画風であり、それ故対照的に異常な凌辱エロの無慈悲さや惨さがビビットに浮かび上がっています。

【心と体の苦痛を快楽として感じさせられる地獄】
  個々のページ数こそ左程多くはありませんが、一度坂道を転げ初めてしまえば、後は破滅へと一直線に進んでいく凌辱劇であり、心情描写によるストーリー展開を適切に施しながら、女性の悲痛な絶叫と破滅的な嬌声、男性の一方的な嘲笑と罵声が木霊する地獄絵図がひたすらに展開されていく流れとなっており、体感的なボリューム感は十分過ぎると評してもよいでしょう。
  個々の悪漢達は自らの性的欲望を一方的に叩きつけ、状況を面白がっているだけではあるのですが、その状況を支配する高須の目的は肉体的快楽よりも相手を精神的に殺すということに重点があり、近親相姦の強要や、ビデオ撮影とそのばらまき、過剰な投薬、スカトロを含むアブノーマルな行為の強要など、相手の自尊心や平常心を蹂躙する性的行為が数多く強要されます。
そういった精神的に追い込む行為を描きつつ、性器や尿道、アナルなどの異常な拡張やピアッシングなどの前述した肉体改変、凶悪なサイズの男性器やバイブなどを無理矢理挿入して体内から腹部を押し上げる(いわゆる“ボコォ”)苛烈な抽挿や、繰り返される直腸や子宮への浣腸行為、拘束凌辱を含めて無理な体勢を強いる性交など、肉体的にも強い負荷をかける行為を連発させているのも、ゴアめいた光景を形成させています。
GatheringOfLivestocks4.jpg  これらの過激な行為に対し、悲鳴を絶叫し嗚咽を漏らす姿を描きつつ、強制的に快感を覚えさせられる痴態を表現することで、彼女達の精神を更に蝕む様に設計されており、苦痛や恥辱と快楽や解放感が判別することが不可能になり、絶望的な表情で自らを卑下する様な言葉と嬌声を上げさせられる様子が禍々しい悲愴感を漂わせながら描かれています(←参照 長編第8話より)。
アへ顔や性器拡張描写など、過激なエロ演出としてスタンダードな手法も用いていますが、それら単体の効果に依存するのではなく、快楽として感じざるを得ないという状況に追い込まれ、大切な何かを振り切るかのように強烈なリアクションを取るという状況設定そのものにひりつく様な嗜虐性、もしくは破滅感があることが大きな特徴であり、そう簡単には真似ることのできないこの作家さんのユニークな特徴と言えるでしょう。
  現在のエロ漫画ジャンルとして珍しく、フィニッシュシーン単体でのインパクトに全くと言っていいほど頼らないエロ展開の組み立てを施す作家さんの一人であり、容赦のない中出しや茫然自失の状況での失禁や潮吹きなどで、抜き所は確保しつつ、ある意味ではリアルに男性の欲望任せでダラダラと続いていく凌辱の暴風と女性キャラクターに強制される絶頂と弛緩の連続をシームレスに描き出しており、それゆえの凄味があるのも唸らされる点と個人的には考えます。

  凌辱エロへの耐性・嗜好がかなり強い方にしかお勧めできないのはオイスター作品としていつものことではあるのですが、今回は高須様の存在もあって、無情感・悲愴感が顕著に強い作品であることにも留意頂きたいと思います。
とは言え、最終話で響き渡る犠牲者達の絶叫は心に突き刺さるものがあり、未だ広がり続けるオイスター作品の荒涼たる世界の真価をまざまざと見せつけられた作品であるなと個人的には感じ入っております。